北海道の厳しい自然の中で生き抜いた厳選された素材を生かし、高級感のあるドアを提供しております。
また、木製防火ドアや高齢者用の引戸などユニバーサルデザイン対応の建具を数多く製作しており、一般住宅は勿論のこと、公共施設からインテリジェントホテルまで幅広く展開しております。
旭川木工技術を世界に誇れる日本の技術として、家具業界と連動し、製品の修理も含め、より一層顧客のニーズに対応できる様努力をしていきます。
平素は太陽工業有限会社に格別のご高配を賜り厚く御礼申し上げます。
当社は、昭和19年「興亜工業有限会社」として戦中の木製飛行機部品を造るべく激動期を経てまいりました。
昭和21年現在の「太陽工業有限会社」に社名を変更し、道北のトータルドアメーカーに成長し今日に至っております。
北彩都旭川の自然の厳しさや、やさしさ、この土地の「木」を一番よく知っている自分たちだからこそ、この土地にあった「建具」を創る事ができるという、誇りがあります。
邸の顔、それはドアであります。
皆様と共に「おかえりなさい」を半世紀、自然から授かった「木材」と共に、その自然からの「恵み」を大切にしながら創る建具を通じて、広く社会に貢献できる企業をめざし努める所存であります。
商号 | 太陽工業有限会社 |
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設立 | 昭和19年2月5日 |
所在地 | 〒079-8453 北海道旭川市永山北3条6丁目1番5号 [GoogleMap] |
電話 | 0166-48-2118(代表) |
FAX | 0166-48-2120 |
代表者 | 代表取締役社長 三浦 邦昭 |
従業員数 | 16名 |
建設業許可 | 北海道知事許可(般)上第324号 建具工事業 |
資本金 | 2,700万円 |
事業内容 | 木製建具製造、木枠製造 |
主力商品 | 木製建具全般、木製防火ドア、高齢者用引戸 |
取引銀行 | 旭川信用金庫、北洋銀行 |
経営理念 | 品质为中心 (品質為中心) 顾客为中心 (顧客為中心) |
昭和19年 | 北海道旭川市5条通12丁目右1号、太陽工業㈲の前身、興亞工業有限會社として國策遂行に協力を爲すため本會社は陸海軍、諸官廳、會社の發注に依に各種木工品(戦中の木製飛行機部品)を製作し納入することを以って目的とし設立する。
(資本金5万円) 代表取締役社長 熊谷東 専務取締役 梅原孝一 常務取締役 梅原清次 が就任 |
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昭和20年 | 代表取締役 葛岡喜代太郎 専務取締役 三浦冨蔵 が就任 |
昭和21年 | 代表取締役 三浦冨蔵 が就任 戦後商号を「太陽工業有限会社」と改称し、各種木製品の製作・販売とする |
昭和23年 | 資本金増資 10万円 |
昭和27年 | 資本金増資 110万円 |
昭和31年 | 旭川建具事業協同組合設立に参画 |
昭和32年 | 資本金増資 200万円 旭川建具移出事業組合設立に参画 |
昭和39年 | 資本金増資 300万円 |
昭和41年 | 会社の目的を「建具及び家具の製作・販売」に変更 協同組合旭川木工センター(永山木工団地)設立に参画 |
昭和44年 | 北海道旭川市永山町6丁目1番地の74(旭川木工センター)に工場新設・移転 資本金増資 600万円 |
昭和51年 | 木製建具分離発注事業始まる(北海道営住宅) |
昭和52年 | 木製建具分離発注事業始まる(旭川市営住宅) |
昭和55年 | 資本金増資 1200万円 |
昭和57年 | 資本金増資 2700万円 |
平成2年 | 三浦冨蔵 代表取締役会長、三浦邦昭 代表取締役社長に就任 |
平成5年 | 旭川市内家具建具製造メーカー6社で、中小企業集積活性化法に基づき純木製防火戸の研究開発に着手 |
平成6年 | 乙種防火戸の性能試験に合格、国土交通省による認定許可 |
平成8年 | 弊社従業員、技能五輪全国大会建具部門において銀賞拝受 |
平成11年 | 旭川建具事業協同組合、多様化する住宅需要の生活価値観に対応するため「高齢者向けの引き戸」の研究開発に参画 第43回全国建具展において、愛知県建設組合連合会会長賞拝受 |
平成13年 | 弊社従業員、技能五輪全国大会建具部門に出場 |
平成16年 | 旭川建具事業協同組合員有志を募り「木の創造会」設立参画 地元旭川の「建具屋と建具の存在」を広く知らしめるべく、「新和風障子展」を開催 |
平成17年 | 横浜において「にっぽんらいふ展」に出展 |
平成26年 | 三浦邦昭 取締役会長、三浦慎一朗 代表取締役社長に就任 |
平成28年 | 三浦邦昭 代表取締役社長に復帰 |